裏方のレジェンド・金一浩司が語る“舞台監督”という仕事|「MUSIC AWARDS JAPAN 2026」ライブスタッフ功労賞 受賞者インタビュー
日本の音楽業界主要5団体が垣根を越えて設立した一般社団法人カルチャー アンド エンタテインメント産業振興会(CEIPA)が、「世界とつながり、音楽の未来を灯す。」というコンセプトを掲げ、2025年にスタートさせた国内最大規模の国際音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」。今年6月に授賞式が行われたMAJ2026では、前年から規模を拡大して計78部門が用意された。新設された部門の中には、音楽ライブやイベントの舞台制作スタッフを顕彰するライブスタッフ賞も。日本の音楽産業を牽引するアーティストやクリエイターに加えて、ライブ体験を裏で支えるプロフェッショナルにも光が当てられた。
この記事では同部門より、長きにわたり音楽ライブ制作に貢献したスタッフを讃えるライブスタッフ功労賞を受賞した株式会社クリエイト大阪の金一浩司氏と、同社の長野真梧氏にインタビュー。金一氏は現在90歳で、日本の音楽分野における舞台監督という役割を確立したレジェンドだ。時代とともに変遷してきた舞台監督の歴史とその裏側、そして現在の音楽業界やMAJに対する率直な思いを語ってもらった。
取材・文 / ナカニシキュウ

株式会社クリエイト大阪の金一浩司氏。
舞台監督の仕事は「よくわかりません」としか言いようがない
──舞台監督というのは、かいつまんで言うとどういうお仕事なのでしょうか?
金一浩司 時代とともに変遷しているんですよ。もとは歌舞伎の世界で“狂言方”と呼ばれる、大道具を動かす仕事だった。腰に金槌や巻尺をぶら下げて、箱馬と称するもの(足場や土台として使われる木製の箱)で部屋を作り、木の枠に布を張って壁のようにする。興行ごとにそれらを組み替えたり塗り直したりしながら使い回す、日本独特の経済的に非常に優れたやり方なんですね。今の時代にも非常に合っている。ヨーロッパにはね、この文化がないんです。向こうのオペラなどでは都度セットを作り、そのまま保管するというやり方をします。土地が広いからなのかもしれません。我々は歌舞伎の伝統を受け継いでいるために、最初は大道具さんに仕事を教えていただくところから始まります。劇場へ行くとまず、大道具さんへのご挨拶を欠かさずにやる。これを欠かすと、見事にいじめられます。
長野真梧 そういう時代もあった、という話です(笑)。
金一 その代わりちゃんと礼を尽くすと、非常に丁寧に教えてくださるわけです。今の劇場ではバトン(舞台の天井付近に設置される、物を吊るための棒)が電動になっていますが、我々の時代は全部手引きでした。カウンターウェイトといって、鎮(シズ)と呼ばれる重りを調節して吊り下げるものの高さを合わせるんですね。そのような技術を習得しないといけなかったり、あとは舞台の上げ下げも我々がやっていました。なので当初の我々は、足袋に雪駄を履いて現場に臨んでいたんです。
長野 舞台に上がって作業をするからですね。当時の舞台監督は今と違って、舞台上で実際に手を動かす仕事が非常に多かった。
金一 そして明治時代末期に新劇が始まった際、ヨーロッパ演劇の考え方と日本的な伝統が融合していきます。まずそういう変遷が1個ありました。もう1個は戦後、日本にジャズやロックンロールなど外国の音楽が入ってきたときに、そういうものに影響を受けた音楽興行が行われるようになっていったことです。そうなると、それまで歌舞伎や新劇の領域で仕事をしてきた舞台監督たちが音楽の舞台を手がけることになり、稽古場で稽古をする際にテープレコーダーで音楽を流すことなども舞台監督の仕事になりました。朝ドラ「ブギウギ」の題材にもなった笠置シヅ子の時代あたりからはマイクロフォンが使われるようになっていきますが、歌手がステージ上を移動する際にたわむケーブルを捌くのも基本的には舞台監督の仕事です。
長野 悪しき慣習です(笑)。今はワイヤレスマイクが主流になっていますが。
金一 つまり舞台監督は大道具だけではなく、音響のことも覚えなければいけなくなったわけです。私の場合は、永六輔さんにすごくいろいろ教えてもらいました。坂本九さんの舞台をやったときに初めてツケ打ち(役者の芝居に合わせて舞台袖で木を打ち、効果音を付加すること)を教えてもらって、ポップスの舞台でツケを打つようなこともやりましたね。それから照明についても、昔であれば「明るいか暗いか」だけだったのが、あれよあれよという間に光の色や向きを変えられる技術が発展し、もはやセットが舞台なのか明かりが舞台なのかわからないような時代に変わった。悲しい限りでもあるんですけれども、その技術についても勉強しなければならなくなり……つまり舞台監督は、多岐にわたる分野のいろんな仕事をするようになっていったんです。覚えることがたくさんある。
長野 今の舞台監督というのは、演出の意図を舞台に反映させるためのすべての仕切りをする仕事になっています。金一の時代には専門の演出家がいましたが、のちの時代になるとテレビ局のディレクターがアルバイトで演出をするようにもなっていき、今はアーティスト本人が演出を手がけることも多いです。いずれにせよ、そうしたところから伝えられる演出意図を汲み取って、それを具現化するために大道具、照明、音響、特効といったすべてのものを使いながら指示をする。ハードとソフトの両面を滞りなく進行させ、お客さんが定刻からショーを観られるように時間軸を守る、というのが我々の一番の役目ですね。
金一 業務が多岐にわたっていった結果、逆に自分の仕事が狭くなってきたんです。舞台のあり方が変遷していくに従ってどんどん“なんでも屋さん”になっていった我々ですが……今やどの業界でもそうなんでしょうけど、いろいろな技術が発達したことによって細分化と専門化が進み、細部までを理解することが難しくなっていった。なので今や、どっちかと言うとあまり動かずに全体を見ているような職種に変わってしまったと思います。進行は進行で別に専門のスタッフがいたりしてね。だから「舞台監督とはどういう仕事ですか?」と聞かれたら、かつては「舞台のなんでも屋さんです」と答えられたんですが、今となっては「よくわかりません」としか言いようがない。それぐらい難しいものになっているのかもしれないね。

1970年頃の金一浩司氏。
瓢箪から駒が出るんです
長野 舞台監督には資格があるわけではないので、極端な話、誰でも明日から「舞台監督です」と名乗ることができる職業でもあるんです。ただしそういうのが増えてくると、基礎の部分で金一たちが積み重ねてきたものがまったく無視されてしまう。なので今、これを国家資格にしていこうという働きかけを行っています。例えば「あのポイントに物を吊ってください」と指示する際に、構造力学がわかっていないと安全性を担保できません。なのでそういった勉強を必須のものにする必要があるわけです。舞台監督のひとつの側面としては、今の巨大化、複雑化した興行において「すべてのセクションの安全を守る」というのが重要な役割になりつつあります。
金一 そうだね。
長野 それにプラスして、我々としては金銭面の担保もされるようにしていきたい。海外ではテクニカルディレクターという職種が定着していて、「1回のステージにつきギャランティがいくら」と保証されています。日本の舞台監督もそういうニュアンスの存在にしていかないと、次の世代の人がなりたがらないですから。多岐にわたる知識を求められて、できなかったら怒られて、事故が起きれば真っ先に警察に引っ張られていく……そんな責任ばかり重くて見返りの不確定な仕事なんて、誰もしたくないじゃないですか。そうなると、将来的にちゃんとしたステージを作れない業界になっていってしまう。
金一 お金のことで言いますと、どういう舞台をやるのにどれだけお金がかかるのかというのを舞台監督は理解していないといけない。私たちは幸い、そういったノウハウのまったくない戦後の時代に育ったので、新しいものを取り入れるときにどれぐらいの時間と費用がかかるか、どれぐらいの動員ができるか、どういう人を動かせばいいのかということも現場の感覚で覚えていくことができました。私が大阪労音(現・大阪新音)というところで舞台のアルバイトを始めたのが65年ぐらい前になりますけども、そこでさまざまな試行錯誤をしながら1つひとつ勉強させていただいた。もちろんひどい失敗もありましたが、その経験から学んだことは多かったです。
長野 舞台監督は舞台の苦労を一番知っているから、舞台監督から演出家に転身するのが一番難しいんですよ。演出家って無茶を言うじゃないですか(笑)。その場のひらめきで急に「あそこに星を降らせたい」とか。その思いつきにかかるお金のことも時間のこともすべてがわかっている舞台監督が演出家になると、無理を言わない演出家になっちゃうんですよ。
金一 私の信念としては、演出家というのは無理を言っていいんです。それはなぜかと言うと、瓢箪から駒が出るんですよ。がんばれば。
長野 そうですね(笑)。
金一 演出家が何か奇想天外なことを言い出したとしますね。それをお金で可能にするのか、時間で、あるいは技術で可能にするのかは舞台監督の創意工夫次第ですが、とにかくやらせてみる。そういうところから、非常に面白いものが生まれてくる可能性があると私は思っています。だけど私も人間ですから、あんまりめちゃくちゃ言われるとカチンとくることも当然ありますよ? ただ、そういう人は必要だと思います。
長野 その無茶な要求を、どうにか実現できるようにやりくりするのが舞台監督の仕事ということですね。
「MUSIC AWARDS JAPAN」の存在意義
──そんな舞台監督という仕事において、最もやりがいや楽しさを感じるのはどういうところですか?
長野 一番難しい質問ですね(笑)。
金一 そうだねえ……逆に言えば、舞台監督がカッコよい職業でなくなりつつある。昔であれば地方の劇場で舞台を観て、そこで生き生きと働く人たちの姿を見て「カッコいい、俺もああなりたい」と東京や大阪へ勝手に出てくる人が多かった。舞台の仕事というのは、「上役に命じられた面白くない仕事ばかりをする会社員になんて、俺はなりたくないわ」という、雑駁な言い方をすれば反体制的な連中が志すものだったわけです。今やそんな人間はいなくて、演劇学校などで舞台の仕事を学んで入ってくるけど、実際にやりたいかっていうとそんなに強い思いではないから「あ、違ったわ」ってすぐ辞める。それはおそらく舞台監督に限らないんだろうとは思うけど、この仕事がカッコいいものだと認識されるところまで復権できるかどうかだね。
「MUSIC AWARDS JAPAN 2026」Premiere Ceremonyでステージに登壇した金一浩司氏。
──「MUSIC AWARDS JAPAN 2026」で金一さんが受賞されたライブスタッフ功労賞などは、まさにその1つの要因になり得るのでは?
金一 この賞が価値あるものだと認知されていれば、それはそうですよ。だけど、その認知はまだされていないじゃない。もちろん皆さん意気込みがすごくあって、手探りで一生懸命やってらっしゃるし、大変だとは思うけれど、「ほかの賞とどう違うの?」ってさ、一般の人はまず思うわけじゃない。突出して鋭利な、インパクトのある存在感を示せないと大衆は興味を持ちませんよ。例えばさ、AKB48がかつて「選抜総選挙」をやっていたでしょ。ああいうふうにみんなの関心がいくものにするということが、この賞が認知を得る唯一の方法ではないか……賞をいただいた私が言うのもなんですが。
長野 我々の携わるポピュラー音楽は、「文化じゃない」と言われるんです。歌舞伎などの伝統芸能やオペラ、バレエ、クラシックが文化であって、ポップスは娯楽にすぎないと。例えばコロナ禍のときに補助金をもらおうとしたら、舞台監督という職業には職域番号が存在しなかった。映画監督は職業として認められているのに、舞台監督は認められていなかったんです。だからこれを「文化である」という方向に推し進めていくことが、間違いなく必要だと思いますね。
金一 まあだから、もう私たちのような年寄りに言ってもしゃあないから、若者にがんばっていただく以外にないわけで。
長野 金一は90歳ですから。
──では、記事としては「若者に期待しているよ」という締め方をさせていただいてよろしいでしょうか。
金一 もちろん、いかようにも。
長野 喜んで(笑)。