Regina Song(シンガポール)、Bernadya(インドネシア)インタビュー|「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」最優秀アジア楽曲賞ノミネートアーティストが語るグローバル展開への“大きな一歩”
5月21、22日に京都・ロームシアター京都で記念すべき第1回目の授賞式が行われた国内最大規模の国際音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」、通称MAJ。「世界とつながり、音楽の未来を灯す。」というコンセプトを掲げるこのアワードは、日本の音楽をグローバルに誇れるカルチャーに発展させることはもちろん、海外アーティストによる日本市場進出を促進することも大きな目的としている。その証拠として、海外の楽曲を讃える「海外楽曲カテゴリー」が用意されたほか、主要6部門の1つとして最優秀アジア楽曲賞が設けられ、世界の中でもとりわけアジアのアーティストにスポットが当てられた。
この記事では最優秀アジア楽曲賞にノミネートされたアーティストのうち、シンガポールのシンガーソングライター・Regina Songと、インドネシアのシンガーソングライター・Bernadyaにそれぞれインタビュー。来日して授賞式に参加したタイミングで話を聞き、MAJにノミネートされた心境や、アジアの音楽がグローバルに注目されることへの期待などを語ってもらった。
取材・文・翻訳 / Takahiro Kanazawa
Regina Song
──最初に、楽曲「the cutest pair」での「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」最優秀アジア楽曲賞へのノミネートおめでとうございます。今の心境はいかがですか?
Regina Song 本当に信じられないです。ノミネートのことを知ったのは、友達がXのスクリーンショットを送ってくれたのがきっかけで、「えっ、本当に?」って驚きました。まさか自分が選ばれるなんて想像もしていなかった。日本に来てこの授賞式に参加できるなんて、すごく光栄だし、自分にとって大きな意味のある出来事になりました。そもそも授賞式に出るのもこれが人生で初めてなんです。いろいろな「初めて」を経験できる特別な体験になったし、素晴らしいアーティストの皆さんと一緒に肩を並べられるなんて、すごく光栄です。

──MAJは今年初開催を迎えた日本の国際音楽賞です。Reginaさんは、参加することにどんな意味があると感じていますか?
Regina Song シンガポールの音楽が日本で評価されたことは、すごく大きな一歩だと思います。MAJのような国際音楽賞の場で、シンガポールやアジアの音楽全体がグローバルなステージで認められるようになったことが、本当にうれしいです。少しずつでもグローバルな注目を集めていけたらいいなと思います。シンガポールは国自体が小さいので、音楽シーンの規模も大きくはないのですが、JJ Lin (最優秀アジア楽曲賞にエントリーされたシンガポールのアーティスト)のように世界的に活躍しているアーティストもいます。彼は、マンドポップ(Mandopop)と呼ばれる中国語の標準語(北京語)で歌われるジャンルのアーティストですが、私は彼の音楽を聴いて育ってきたので、同じくエントリーされたことはうれしいですね。ただ、特に英語詞の音楽の認知度はまだまだこれからで、海外で評価されるには時間がかかるかもしれないとも思っています。というのも、シンガポールでは、国内のアーティストの英語詞の音楽が広く知られるためのプラットフォームがまだ整っていないんです。だからこそ、今回このような場に立たせてもらえたことは本当に光栄だし、自分が「最初の一歩」を踏み出せたことがうれしいです。シンガポールには素晴らしい才能を持ったアーティストが本当にたくさんいて、私自身、これからシンガポール音楽がどう発展していくのか、とても楽しみにしています。
──Reginaさんの音楽についても聞かせてください。ご自身の出自や文化的背景は、音楽性にどのような影響を与えていますか?
Regina Song 音楽を始めたきっかけは小さい頃から習っていたクラシックピアノです。それが音楽の世界に足を踏み入れる最初の一歩でした。その後は中国楽器のオーケストラに参加したり、高校時代にはポップジャズバンドやアカペラグループに所属したり、いろんなジャンルの音楽に触れてきました。シンガポール芸術学校(School of the Arts Singapore)ではクラシックピアノを学んでいたので、クラシック音楽が自分のルーツにありますね。でも同時に、ポップミュージックにもずっと興味があって、13歳のときに作曲を始めました。自分の楽曲ではクラシックとポップの要素が自然にミックスされていて、それが自分らしさにもなっていると思います。影響を受けたアーティストはTaylor SwiftやOlivia Rodrigoなどのシンガーソングライターで、彼女たちのストーリーテリングや曲作りからの影響も大きい。すべての楽曲がそうではないですが、自分で楽曲制作するときは、無意識のうちにクラシックの雰囲気が出てくることも多くて、バイオリンなどの楽器をよく使っています。そのコンビネーションを楽しみながら曲を作るのが、今の自分のスタイルです。

──シンガポールの音楽文化で、世界のリスナーにもっと評価されるべきと思う点はありますか?
Regina Song シンガポールでは英語が広く使われるので、自然と英語で曲を書くアーティストが多いんです。私の楽曲も英語詞ですが、ほかにも英語で曲を書く才能豊かなソングライターがたくさんいます。東南アジアのアーティストたちは、それぞれの文化や人生経験をもとに、自分の物語を英語で表現しているんです。英語というユニバーサルな共通言語を使っていても、それぞれのバックグラウンドや育ってきた環境がまったく違うので、必ずしも「欧米と同じ」英語詞ポップスになるとは限らない。シンガポールは多民族・多文化の国ですし、さまざまな視点からの表現が生まれます。私の周りにもインドネシア系やフィリピン系の友人がたくさんいて、みんなそれぞれのルーツを持ちながら英語で音楽を作っています。そうやってひとつのコミュニティができていることがすごく面白いし、刺激的なんです。ポップスに昇華される過程には、多様な文化の融合がある。シンガポールの音楽の面白さはそこにある気がしますね。
──グローバルでの評価という意味で、これまでのアーティストキャリアの中で最も印象的だった瞬間はありますか?
Regina Song 間違いなく東南アジアツアーですね。2025年の初めに、昔からの夢だったツアーを開催することができたんですが、本当に叶うとは思っていませんでした。急に決まった青天の霹靂だったんです。いろんな人たちとの出会いがあって、いろんなサポートを受けながらツアーを実現することができました。本当に恵まれていたと思います。各地で自分の音楽を聴いてくれる人たちが集まってくれて、一緒に音楽を楽しんでくれる光景を目の当たりにしたとき、「音楽ってすごいな」と改めて感じました。普段は、再生回数やチャートの順位などの「数字」ばかり気にしてしまうけど、ファンと直接会って話して、自分の歌を聴いてもらえる時間は、自分にとってすごく大きな意味がありました。特にクアラルンプール、バンコク、ジャカルタ、マニラでのライブでは、「音楽が誰かの心に届いているんだ」と実感することができたんです。これからも音楽を続けたいという気持ちがさらに強くなりました。
──先ほどTaylor Swiftの名前が挙がりましたが、アジアのアーティストに限らず、今後コラボしてみたいアーティストはいますか?
Regina Song 質問の答えはいつも変わるんですけど、一緒に音楽を作りたいとずっと思っているのは親友でもあるRhyuというアーティストです。子供の頃から一緒に育って、これまでもたくさん曲を書いてきました。ただ、なかなかタイミングが合わなくてリリースまで至らなかったんです。彼女は明るい曲を書いているのに、私は悲しい曲を書いていたりして(笑)。でも、いつか一緒に何か作品を出せたらいいなと思っています。ローカルのコミュニティからも刺激を受けていますが、BernadyaやタイのJeff Saturなど、MAJでノミネートされたアーティストのこともリスペクトしているし、影響も受けています。そういう仲間たちと一緒に、アジアや東南アジアの音楽を世界に広げていきたいです。あと、Yung Kaiのアコースティックなスタイルがすごく好きで、以前フィリピンの「Wanderland Music and Arts Festival」というフェスで一度会ったことがあるんです。いつかコラボできたらうれしいですね。

──今後、シンガポールやアジアの音楽文化が世界でどのように発展していってほしいと思いますか?
Regina Song シンガポールのアーティストや音楽がもっと多くの人に知られるようになってほしい、というのが一番の願いです。もっと大きな音楽フェスに出られるようになったり、海外でのチャンスが増えたらいいですね。シンガポールにもフェスはあるんですが、規模が小さいので、国内のアーティストにとって十分ではないことも多くて。国自体のマーケットも小さいので、どうしても限られた中での活動になってしまいがちなんです。でも、私が今こうしてMAJで一歩を踏み出すことで、もっと多くのシンガポールのアーティストにチャンスが巡っていったらいいなと。新しい扉を開いていけたらうれしいです。
──最後に、日本のオーディエンスへ伝えたいことはありますか?
Regina Song 今回日本に来ることができて、とても光栄です。「日本にいる」という事実だけで、自然とハッピーになれている気さえします(笑)。5月の末にはフィリピンのプロデューサーのニーコ・サビニャーノと制作した「Love me again」という新曲もリリースします。次の私の誕生日、来年の2月までにはアルバムも出せたらなと思っていて、先行シングルもたくさんアナウンスできる予定です。今度はツアーやライブでぜひ日本に戻ってきたいです。
Bernadya
──楽曲「Satu Bulan」での「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」最優秀アジア楽曲賞へのノミネートおめでとうございます。今の心境を聞かせてください。
Bernadya 自分の楽曲がノミネートされたこと、本当に光栄に思っています。素直にとてもうれしいです。

──MAJは今年初開催を迎えた日本の国際音楽賞です。Bernadyaさんは、参加することにどんな意味があると感じていますか?
Bernadya 今回のノミネートをきっかけに、より注目してもらえているように感じていますし、アジアの音楽やアーティストたちに、より多くのスポットライトが当たっていると思います。このアワードのおかげで、より多くの人からサポートを受けたり、見つけてもらえたりする機会が増えている。とても力強いムーブメントだと感じますね。
──Bernadyaさんの音楽についても聞かせてください。ご自身の出自や文化的背景は、音楽性にどのような影響を与えていますか?
Bernadya インドネシアで生まれ育ったこと、アジアで育ったという私のバックグラウンドは、間違いなく自分の音楽作りに影響しています。自分はすべてインドネシア語で歌詞を書いているのですが、それが一番自然に、本当の気持ちを表現できる方法なんです。
──インドネシアの音楽文化で、世界のリスナーにもっと評価されるべきと思う点はありますか?
Bernadya インドネシアは多民族国家なので、地域ごとに異なる音楽スタイルやジャンルがあるんです。例えば「ダンドゥット」というジャンルは、ロックやマレー音楽の影響を受けたインドネシア発祥の音楽で、私たちにとってとても身近なジャンルだし、東部に行けば、また違う音楽が広がっている。「インドネシアの音楽」という1つのカテゴリーとして見ることもできますが、その中には多くのサブジャンルがある。きっとそれは日本の音楽がJ-POPだけではないのと同じで、興味を持って深く聴いてもらえたらきっと新しい発見があると思います。

──アジアのアーティストに限らず、今後コラボしてみたいアーティストやリスペクトしているアーティストはいますか?
Bernadya 日本のアーティストのTOMOOさんが好きで、彼女の「Ginger」という曲のMVは、私のデビュー曲「Apa Mungkin」のMVのリファレンスになっています。以前から宇多田ヒカルさんも大好きなので、いつかお会いできたらうれしいです。日本のアーティストとコラボすることは私にとって昔からの目標であり夢なので、いつか実現させたいです。
──今後、インドネシアやアジアの音楽文化が世界でどのように発展していってほしいと思いますか?
Bernadya アジアの音楽が、もっと大きな存在になっていってほしいです。ニッチなジャンルではなく、世界の音楽カルチャーの一部として、今よりも存在感が増していったら素敵だなと思います。
──最後に、日本のオーディエンスへ伝えたいことはありますか?
Bernadya 音楽は、求めてくれているしかるべきオーディエンスのもとへ届くと信じているので、言葉がわからなくても、私の音楽を楽しんでくれたらうれしいです。2025年は初めてのマレーシアツアーにも挑戦します。これからも音楽を作り続けていくので、近い将来日本の皆さんとも日本のライブでお会いできたらうれしいです。
